美山の紹介
薩摩焼きのふるさと美山 鹿児島県日置市美山地区
守り継がれる技と心
始まりは慶長三年(1598)年。文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にさかのぼります。この頃の朝鮮は陶器において高い技術と文化を持っていました。茶道の流行期であった日本では、この技術を持ち帰ろうと多くの藩が陶工を日本に連れ帰り焼き物を始めました。
千利休の弟子でもあり、茶の湯を愛した島津義弘公も朝鮮陶工約八十人を連れて帰国。これは薩摩藩の文化・産業の振興の為であったとも言われています。
陶工たちは鹿児島県のいちき串木野市(島平)、日置市(神之川)、鹿児島市(前之浜)などに上陸。薩摩藩庇護の下、各地で開窯したのが薩摩焼の始まりです。
その後、薩摩焼は鹿児島の豊かな風土と陶工たちのたゆまぬ努力により、鹿児島の伝統工芸品の地位を築き上げ、平成十四年には国の伝統工芸品として経済産業大臣の指定を受けました。現在では日置市全域に個性的な窯元が点在し、それぞれが趣向を凝らした作品を制作しています。
今もなおわたしたちの暮らしや食卓を彩り、多くを魅了してやまない薩摩焼。今度の週末あたり窯元巡りなどいかがでしょう。
黒薩摩、白薩摩
黒薩摩(くろさつま)
白薩摩に対して、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器で、鉄分含有量が多い土を用いるため黒くなる。
繊細かつ優美な白薩摩に対し、野趣あふれ重厚な面持ちが特色で、黒薩摩のファンも多い。
白薩摩(しろさつま)
かつては全て藩主の手に収められ、一般の人々の目に触れることはなかった。
玉のような肌に錦手や精巧な透かし彫りが施され、芸術の域を極めるものも多く、海外からも高く評価されている。